相も変わらず、ロボット好きめ

 ジーコは戦術家としては無能かもしれない。でも、ジーコ批判の主たるものは、選手のロボット化を求めているように思える。例えば野球のオリンピック代表を長島Japanと呼んだり、現在だけでなく常にサッカー代表は「ジーコJapan」のように監督のもののように呼ばれる。選手、戦術のチョイスが監督に依存する以上こういう呼び方はある意味しょうがないのかも知れないが、勝敗を監督に負わせるような言い方はサッカーという競技の冒涜と私は思う。
 諸外国の場合、放っておくと選手が好き勝手にやってしまう(極端な例がちょっと昔のアフリカ)ので戦術が必要だと思うけど、ルールや縛りが大好きな日本人が戦術を前面に出したら、そればっかりになってしまうのでは?と思う。
 多分、ジーコが去った後は、こんなに日本人の力を信じて「それだけ」でワールドカップを戦おうという監督は二度とこないかも知れない。願わくば日本人の社会を否定するようなこのやり方でワールドカップに成功して欲しいと思う。まぁ多分無理だろうけど。